2008年02月15日
カズー!
何歳まで現役続けるんでしょうね?
三浦 知良(みうら かずよし、1967年2月26日 - )は、日本の現役最年長プロサッカー選手。静岡県静岡市葵区出身。横浜FC所属。
ブラジル時代のポジションは左WGであったが、日本帰国後はセンターフォワードとしてJリーグで活躍し、日本代表としてもFIFAワールドカップ初出場に貢献した。しかし、ワールドカップ予選での総得点を27点記録するも、ワールドカップは未出場。Jリーグ年間最優秀選手賞1回、得点王1回、ベストイレブンを2回受賞、1993年にアジア年間最優秀選手賞を受賞。
1967年、父・納谷宣雄、母・由子の次男(兄である長男は三浦泰年)として静岡県静岡市に生まれた。知良(かずよし)という変わった読み方の名前は、父方の祖父につけられたものだという。1973年、静岡市立城内小学校に入学した。小学時代には、静岡市のゴールというスポーツショップを経営する伯父の納谷義郎が監督を務める城内FCに入っていた。小学校4年生の時に両親が離婚し、三浦姓を名乗るようになった。1982年、私立静岡学園高校を、1学年修了を待たずして中退。ブラジルに単身渡航、CAジュベントスへ留学。その後ブラジル中を渡り歩くことになる彼の出発点であった。
1985年、サンパウロ州選手権タッサ・サンパウロ(U-21)に、日本人として初出場。SBSユースに、キンゼ・デ・ジャウーの一員として静岡に凱旋。当時静岡高校選抜のDF中山雅史、FW武田修宏らと試合を行った。1986年2月、サントスFC(カンピオナート・ブラジレイロ=ブラジル全国選手権の古豪)とプロ契約。1部リーグ2試合に出場したものの、チームの足を引っ張り現地のマスメディアから叩かれ、半ば戦力外という形で放出され5月にはパルメイラスと特別契約を結び日本でのキリンカップで凱旋帰国を果たした。
その年の10月にはパラナ州のソシエダージ・エスポルティーバ・マツバラへレンタル移籍し、1987年2月にはマツバラと正式契約を結び、南部三州リーグ優勝に貢献。10月、アラゴアス州のクルベー・デ・レガッタス・ブラジル(CRB)に移籍し、日本人で初めてブラジル全国選手権に出場。この後、カズの代名詞となる高速ドリブルを磨いていった。1988年、サンパウロ州選手権のキンゼ・デ・ジャウーへ移籍。日本人として、リーグ戦初ゴールをコリンチャンス戦で記録した。このときの試合はテレビ中継されていたために、カズという日本人の名前が広く知れ渡った。1989年2月、パラナ州のコリチーバFCに移籍し、パラナ州選手権優勝に貢献。1990年2月、満を持してサンパウロ州のサントスFCへ再移籍。この時カズは、サントスFCで足を引っ張りマスコミにたたかれたときのころからは考えられないほど成長していた。
1990年7月、Jリーグ発足が現実味を増す中、日本のW杯出場に貢献するためにブラジルに残ることよりも日本でプレーすることを決断し、日本リーグ・読売サッカークラブ(ヴェルディ川崎 = 現東京ヴェルディの前身)に移籍した。当初、期待とは裏腹に、クラブでは日本のサッカーになじめずなかなか活躍できなかったが、徐々に日本のサッカーに慣れ、Jリーグ開幕後はラモス瑠偉、北澤豪、武田修宏、ビスマルク、柱谷哲二、ペレイラ、菊池新吉らその他多くのチームメイトに恵まれ読売 = 川崎の黄金期を築いた。1992年日本年間最優秀選手賞(フットボーラー・オブ・ザ・イヤー)受賞に続き1993年、日本人最高の20得点を記録しヴェルディ川崎を初代チャンピオンに導き、Jリーグ初代MVPを受賞した。日本リーグとJリーグを跨いで年間最優秀選手に輝いた。
プロとして築いた数々のキャリアを引っ提げて、1994年にはイタリア・セリエAのジェノアに期限付移籍し、アジア人初のセリエAプレーヤーとなった。ACミランとのセリエAデビュー戦において、フランコ・バレージとプレー中に激突、鼻骨骨折と眼下系神経を損傷してしまい、一ヶ月の戦線離脱を余儀なくされた。復帰後、サンプドリアとのジェノヴァダービー決勝点となるゴールを奪う。しかし結局ゴールはこれのみで,21試合出場に留まった。なおジェノアとの契約は当初から、チームの戦力補強として合意に至ったというよりも、ジェノアのユニフォームスポンサーとなったケンウッドの後押しで実現したとも言われている。この当時はまだまだ日本人に対しての偏見が強く、保守的だったジェノアの監督からは快く思われていなかった。カズの移籍は当時ヴェルディのオーナーであった渡邉恒雄との、1年限定との約束(レンタル)であったため、シーズン終了後はヴェルディへ復帰することとなった。そのためスペインリーグやスイスリーグのチームからオファーが来ていたが、代理人への話だけで具体的な身分照会はなかった。
その後、ヴェルディに復帰すると、1996年には得点王なるなど活躍したが、1997年頃から本来のスピードやキレがなくなり(イタリア時代の経験から、筋力トレーニングを増やした結果や怪我が原因という意見が多い)、得点数は減少。チームも年々勝てなくなっていった。
1998年末、川崎は親会社の撤退で大幅な経営縮小のため、高年俸のベテラン選手達のリストラを敢行し、カズに対しても年俸ゼロ円提示がなされる。カズはクロアチアのクラブチーム、クロアチア・ザグレブ(現ディナモ・ザグレブ)へ移籍を決意した。ザグレブでは、アシストのみでゴールは挙げられなかった。そのシーズン終了後、新たに就任した日本でも監督経験のあるアルディレス監督に戦力外とされ、本人が熱望していたUEFAチャンピオンズリーグへの日本人初出場はかなわず、1999年6月、契約よりも1年早く日本に帰国した。
(以上、ウィキペディアより引用)
昔は本当にすごい人だったんですけどね!
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